一冊の本を紹介しましょう。 早稲田出版から2003年4月に出版された、三枝慶子『這い上がる勇者たち』です。 野球を絵画を見るような視点で捉える三枝氏が、横浜・吉見祐治投手、ヤクルト・藤井秀悟投手、鎌田祐哉投手の学生時代の試合を中心に、三選手を直接取材し、その心の奥底まで迫った作品です。 鎌田投手は『望まれた投手』として、早大一年時、神宮球場で慶応・高橋由伸(現巨人)と対戦したことにより野球人生が開けていったこと、大学四年時の葛藤、優勝を懸けた秋の早慶戦を中心に話が展開されています。 |
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鎌田投手の野球人生 |
鎌田の野球人生は、秋田市立下新城小学校三年から始まった。サッカーか軟式野球のどちらかを選べる「スポーツ少年団」への入団を決めていた鎌田。当初はサッカーをやるつもりで、希望用紙にはすでに「サッカー」と書き込んであった。あった。ところが、スポーツ少年団野球部の外野の少年がダイビングキャッチをした瞬間が鎌田の脳裏から離れず、「サッカー」の文字を「野球」に書き直し提出し、野球人生がスタートした。ピッチャーを本業にしながら、時折ショートを守る選手であった。夢は「プロ野球選手」であった。 中学は、秋田市立秋田北中学校。部活は軟式野球部。他校から注目されるほどの選手ではなかったが、野球センスは褒められていたという。鎌田自身、野球をするうえで大切という野球部の「三つの教え」を学んだという。 |
一、能力の差は小さく、努力の差は大きい 二、声の出ない野球は、勝利につながらない 三、礼に徹し、友と和し、自らを律せよ |
高校時代の鎌田投手 |
高校は県立秋田高校に進むつもりであったが、受験に失敗…。すべり止めとして受験していた秋田経法大付属に入学することになる。決して野球部推薦入学で入った訳ではなかった。中学の野球部の友達の「おまえなら、レギュラーなれるよ」の一言で野球部入部を決心。経法大付属の先輩小野(日本石油−巨人−近鉄)らと出会ったことで、野球感が変わっていった。 二年春は「11」秋は「10」。三年春の秋田県春季高校野球大会で優勝し、優勝候補筆頭として迎えた三年夏の最後の大会。そこでも、エース番号こそもらえなかったが、「プロ注目選手」として注目を浴びていた。 二枚看板と評され、地区大会では主戦金澤博和と交互に先発し、見事連戦を勝ちあがった。背番「10」の鎌田は2試合に先発し、11奪三振、防御率1.50という結果だった。 念願の甲子園出場も、本大会も背番号は「10」のまま。二回戦からの登場となった秋田経法大附属は、長崎県代表の波佐見高校との対戦。先発はエースナンバー「1」を背負った金澤。チームは2‐4で惜しくも惜敗…。結局控え投手であった鎌田に出番はまわってこなかった。こうして鎌田投手の高校三年生の夏は幕を閉じた…。 進学は野球部部長の先生から、「祐哉、頭あるから早稲田に行ってみ」との相談を受け、自己推薦入試で早稲田大に合格を果たすのであった。 |
大学時代の鎌田投手 |
早稲田大学へ進学した鎌田は、一年の春からベンチ入り。対明治戦で初めて神宮のマウンドを踏み、二度目の登板となった1997年5月31日の対慶応戦で、慶応の四番・高橋(由伸 現巨人)を三振に打ち取る。そのことで、新聞紙上や野球関係者からは、無名の一年生ピッチャーが徐々にクローズアップされ始めたのだ。 高橋の本塁打六大学新記録更新に沸く秋のリーグ戦。対慶応二回戦では初めての先発マウンドを任される。白星こそつかなかったが、その高橋を2打席(大学通算4打席)とも抑え、「高橋キラー」として、その野球人生は開けていった。 二年春にはリーグ戦未勝利ながらも、それまで三澤興一(巨人−近鉄−現巨人)が背負っていた、早稲田の右のエースナンバーである「11」を背負うことになる。実績を残していない選手が着けるのは異例中の異例で、将来を嘱望される大型左腕として、その期待度は高かった。エース藤井秀悟(現ヤクルト)の故障により、鎌田は11試合中10試合に登板し、孤軍奮闘したものの、成績の方は1勝5敗とふるわなかった。二年秋。開幕から4試合連続先発黒星を喫し、さらには一年生江尻慎太郎(現日本ハム)の台頭もあり、ベンチを温めることが多くなった。 三年。エースナンバー「11」に恥じぬ飛躍の年となる。春は、復活した藤井との二枚看板で11季ぶりの早稲田のリーグ制覇に貢献。4勝負けなしでベストナイン初受賞。大学選手権でも準優勝に貢献した。大会後の日米大学野球、さらにはシドニー五輪アジア予選の1次エントリーにも選出され、アマチュア球界を代表する右腕へと階段を上り詰めることとなる。 最上級生となった四年春。鎌田は序盤不調に陥る。二年生和田毅(現ダイエー)に先発の座を譲り、リリーフにまわることが多くなった。学生生活最終シーズンとなる秋は、安打を打たれながらも、要所を締める本来の投球スタイルがよみがえり、エースらしさが戻った。優勝のかかった早慶戦。打線の援護に恵まれず、惜しくも優勝は逃し、早慶戦で優勝を決めて学生野球を終えるという小説のような締め括りこそ叶わなかったが、切れ味鋭いストレートと、絶品のタテのスライダーを、絶妙のコントロールで投げ分ける右の本格派は、リーグ戦終了後ヤクルトを逆指名し、ヤクルトから二位指名を受けた。 |
「高校でも、大学でも、自分から進んで野球をするつもりがなかったのに、小学校の頃の夢の通りにプロまで行くことになって……。これからは、自分から、自分で、(自分の意思で、)野球をやっていくんだから」 |
「物事は成るようになる。運命は決められていると思っているから」 |
-鎌田祐哉 早大四年 |
入団してからのエピソードにモドル |